映画『野良犬』レビュー│村上と遊佐。ほとんど違いがないのに”違う”ふたり。

こんにちは、lenoreです!
今回は黒澤明監督の映画『野良犬』について書こうと思います。
「もうだめだ」とか「人生終わった」と思うようなことがあった時にこそ観た方が良いのか…
そうなる前のまだ心に余裕がある時に観た方がいいのか…
人生の分岐点や岐路について考えさせられる映画でした。
若手刑事 村上の熱血さ
すさまじい執念
この映画は、射撃練習から帰宅途中だった三船敏郎さん演じる若手刑事 村上が、
バスの中でコルト銃を盗まれてしまうところから始まります。
村上は、残り7発も入っている銃を盗まれてしまったことに責任を感じ、
スリ係の先輩刑事に助けてもらって、銃のゆくえを追いかけるのですが…その執念がすごいんです。
映画序盤約20分に渡って、一部を除いてほとんどセリフがない追跡・捜索シーンが続き、
「現代でも銃を盗まれるって確かにおおごとだけど、ここまでガーッとそこだけに集中するものかね?」と感じてしまうほど、
村上刑事の「絶対に見つける」という強い思いが伝わってきました。
猪突猛進すぎて…
この執念は、
●銃を盗まれたことに対する責任を取る=自分のことは自分でやる
↑この観点からいえば、良いもの・ポジティブなものですが、
●他のことには一切目もくれずにそれだけを追う=銃さえ戻ればいい
↑この観点からいうと、ちょっとやり過ぎの感があるんですよね🤔
実際最初の頃は、捜索中に(こいつが犯人か…?)と相手を睨んだ後(いや違うな)となったら、
その都度帽子のつばをもって軽めの会釈をしていたのに、
捜索を続けるうちに会釈が徐々になくなっていく=手当たり次第相手を睨んでいくだけみたいな状態に。
爽やかな三船敏郎さんの表情がどんどんやさぐれていくのが、少し怖いくらいでした。
「狂犬の目にまっすぐな道ばかり」
【この段落以後、内容について言及があります】
序盤の村上刑事の様子は、猪突猛進すぎて危なっかしくて心配になりましたが、
志村喬さん演じるベテラン刑事 佐藤とタッグを組んだあたりから、
時々突っ走ってしまいながらも、少しずつバランスを取り戻し始めます。
犯人が道を踏み外したきっかけ
銃の捜索を進めていってたどり着いたのが、遊佐という男。
遊佐は、復員※の時に列車の中で全財産が入ったリュックを盗まれてしまったことで厭世的になり、
それが道を踏み外すきっかけになっていました。
※復員…戦時で召集されていた軍人が任を解かれ民間に戻ること
遊佐は、桶屋を営む姉の家族とともに、かなり貧しい暮らしを送っており、
村上刑事の銃を手に入れたあと、お金のために強盗傷害そして強盗殺人まで犯してしまいました。
全部世の中が悪い?
その遊佐が入れ込んでいたのが、幼馴染のラインダンサー 並木ハルミ。
遊佐が2件目の強盗殺人を起こしたのは、
ハルミが見ていたショーウィンドウのドレスを買ってあげようとしたことがきっかけでした。
それを薄々分かってか、ハルミはドレスを着ずに箱に入れたまま押し入れの中にしまっていたのですが、
遊佐の居場所を聞いてくる村上刑事に対して、終始遊佐をかばうようなことしか言いません。
そして「みんな世の中が悪いのよ。復員軍人のリュックを盗むような世の中が」と語りました(遊佐談として)。
きっかけは少しの差、最終的には本人の意志
しかし、実は復員の時にリュックを盗まれてすべてを失ったのは遊佐だけではないんですよね。
映画中盤、村上刑事が佐藤刑事のお宅に招かれたシーンで、
「実は僕も復員の時にリュックを盗まれた」と村上刑事が告白しています。
ひどく無茶な毒々しい気持ちになりましてね。あの時だったら強盗でも平気でやれたでしょう。でもここが危ない曲がり角だと思って、僕は逆のコースを選んで今の仕事(刑事)を志願したんです。
こういう極限状態に置かれた時の「いけない」とか「このままではだめだ」というような
ある種の自制心が働くきっかけって、本当に数秒とか数ミリの差だと私は思うんですよね。
あの瞬間ちょっと雨が止んで部屋に陽が差し込んでいれば…とか、
数秒後に帰ってくる家族と少しでも会話をしていれば…とか。
踏みとどまるきっかけだけでいうと、本当に偶然レベルの差なのかなと🤔
そして、踏み出してはいけないと留めるストッパーがあるかないかは、最終的な本人の意志なのかなと🤔
同じ窮地に追い込まれたら、みんながみんな犯罪者になるかと言われたら…そうではないですもんね。
ただ、村上刑事の周りの先輩刑事の様子を見ていると、
環境というか周りの人に恵まれているかというのも大事なポイントなんだろうなと思います。
猪突猛進になりすぎる村上刑事を、諭しながら励ましながら、見守っていましたもんね。
うーんでも、結局そこも本人の普段の行い(本人の意志)なのかなぁ…🤔😮
雑木林の花の中、むせび泣く遊佐に共感してしまう
とは言いつつも、犯人の遊佐の状況に全く共感出来ないかと言われたらそうではないのが難しいところです💦
あばら屋で一人泣いていたとか、びしょ濡れの猫を踏んづけた時の生々しい思いが書いてあったメモとか、
絶望すると全てが「どうせ頑張っても…」という感じになるんですよね。
(実際遊佐が残したメモ↑は どうせ… で終わっていました)
映画後半、雑木林の中で村上刑事に追いつかれ、ついに手錠をかけられた遊佐。
近くを歩いていた子どもたちが歌う『ちょうちょう』が聴こえる中、
雑木林の花を見上げ、絞り出すような声でむせび泣きます。
このシーンは、一度でも人生に絶望を感じた方は共感できるのではないかな…。
多分遊佐はどこかで一度心が完全に折れてしまったんじゃないかと思うんですよね。
こうなる前に何らかの助けが必要だった人なんだろうなと。
村上刑事や遊佐など、第二次大戦後に従来の思想・道徳に拘束されずに行動した若い人々のことを戦後派(アプレゲール)というそうで(参考:コトバンク 映画内でも会話の中で登場)、
そういう時代の特性もあったと思うので…なんとも言えませんね…もちろんダメなことは絶対ダメなんですが…。
まとめ
●環境か、元々の資質か。
●世の中のせいにするか、自分の責任にするか。
●諦めるか、諦めないか。
一概にどっちの方が絶対に良いといえない、人生の分岐点で悩む若者の姿を見た気がします。
じゃあ、遊佐はどうすればよかったのか?
「もう無理だ、辛い、終わった」「どん底で苦しいけど、立ち上がりたい、やりなおしたい」
こう思った人が一歩を踏み出せるよう助けてもらえる仕組みが必要で、
これは現代にもあてはまると感じました。
作品詳細
1949年の作品。
監督…黒澤明
脚本…黒澤明、菊島隆三
●村上刑事(三船敏郎)…若手刑事。射撃練習の帰りに銃を盗まれてしまう。
●佐藤刑事(志村喬)…ベテラン刑事。村上刑事とともに銃を盗んだ犯人を追う。
●遊佐(木村功)…犯人。
●並木ハルミ(淡路恵子)…遊佐の幼馴染。ラインダンサー。
(参考:映画.com )
読んでいただきありがとうございました📽️